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蒼猫物語

寧ろ鶏口と為るとも牛後と為るなかれ。

無知は罪なり

あおねこらむ

無知は罪なり、という言葉があります。ソクラテスの言葉であるらしいです(ググった)。おぼろげながら頭に残っていた言葉ですが、調べてみると後に続く言葉があるそうですね。正しくは「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり」だとか。

その言葉を発した彼の真意は測りかねますが、非常に共感できる部分がある言葉です。

知らない人が聞くと、知らないことがいけないことなのか!?と思いたくなります。

でもその通り。知らないことはいけないことでしょうね。

様々なことを知らないと、自分が損をするばかりでなく、周りに迷惑をかけたり、周りの人に危害を加えたりします。法律でもこの言葉を表したような条文があります。刑法38条3項にはこう書かれています。

 

刑法38条3項 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。

 

詳しい内容は市販の参考書や弁護士さんなどのブログに書かれている通りなのでここでは書きませんが(僕が無知なだけ・・・?)、文言通りにとらえれば、法律を知らないからって許されるわけではない、ということですね。

 

知らないことは、自分自身にとって損です。自分がだまされたり、ケガをしたり、無駄なお金を払ってしまったり、というのは自業自得という一言で片付けられてしまいますが(進んでしたくはないですが)、周りの人がこのようなことになってしまったとしたら・・・。そしてそれが、自分が知らなかったことによってもたらされたものだとしたら・・・。それはまさしく「罪」であるといえるでしょう。

 

僕自身もそういう経験があります。

現在中央法学部の通信教育を受けていることに直結する経験です。

 

 

高校生の頃にどうしても法学部に進学したかったのですが、母子家庭で貧乏な家庭に育った僕は下宿することを固く禁じられたため、しかたなく行きたくもない地元の大学に進学することにしました。

そこでは、おもしろくもない講義を聴き、行きたくもない大学に通うために授業料を払い、したかった法律の勉強は全くできず・・・という、こう書くと何がおもしろかったんだと思ってしまうような大学生活を送るハメになってしまいました。

 

しかしある日、大学の先輩が中央大学法学部の通信教育課程の聴講生であることを知りました。

その時はとくになんとも思いませんでしたが(お金なかったし関係ないと思ってた)、後になって(=大学を卒業してから)調べてみたら、・・・なんと通学制の大学よりもかなりお手頃な授業料で大学に通えるではありませんか!

 

これを高校生の僕が知ったらなんて思うだろうか。わざわざ行きたくもない大学に行くより、勉強したいことが勉強できる大学に進むことを選んだんじゃないだろうか。

たとえそれが世間一般に言う「大学生」とは違うものだとしても、やりたいことができていればそれでよかったんじゃないか。

 

これは今考えても本当に悔しい出来事です。なぜあの時中央大学法学部通信教育課程に進むという選択をしなかったのか、という後悔は今でもあります(だから今になって勉強してるんですけどね)。

 

しかし、そうではない。後になって気づいたのですが、あのとき僕はそういう選択をしなかったのではなく、その選択肢を知らなかったのです。

その時はじめて、知らないというのは罪だ、と思いました。自分の時間とか労力を全くのムダなものにしてしまいかねないから。

そして、僕が18歳の時に中央通教に進学していたら、絶対に今とは違う生活を送っていたに違いない。そう思います。今頃弁護士になっていたかもしれません!

 

 

今ここに書いた出来事は大学進学の時のものでしたが、こうした事をほかに探してみればいろいろあるんじゃないかと思います。

あの時こうしていれば・・・という後悔は、きっとどんな人でも何歳になってもあるんだろうと思います。だからこそ、限られた時間の中で最良の選択をするためには、無知は罪であると思います。時間や労力をムダにしてしまうから。

僕の場合は5年6年単位でムダにしてしまったなぁという感じがしますので、ホントに後悔というほかありません。

まぁ、それがイイ経験になっていると思えばいくらかマシなんですけど・・・。

 

人生は選択の連続だという言葉も聞いたことがあります。幾度となく訪れるそれぞれの瞬間に、最良の選択ができるようにしたいですね。